好き」の解像度を上げてみたら見えてきたこと
子どもの頃からインテリアが好きで、短大では建築の勉強をしていました
絶対に建築士になりたいとかインテリアコーディネーターになりたいとか、熱い思いがあったわけではないんです。好きだったからやってみたら製図も模型作りも得意だったという新たな発見があって、「好きなことを仕事に」深く考えずに設計職に応募してました
でもね、就職難のご時世どこも決まらなかったんです。アルバイトをしながら夜間のインテリアスクールに通ったり、正社員で採用された会社で働きながら建築士の試験を受けたり…
今振り返ってみても頑張ってたなぁって思うんですが、試験に受かることがゴールになってしまって、自分の未来をイメージできないままだったからどこか中途半端で空回り
独学ではクリアできない科目があったので、もう一度試験対策の専門学校に通おうかどうしようか迷ったときに、改めて少し先の未来に思いを巡らせて自分の「好き」を掘り下げてみたら見えてきたものがあったんです
それは、かっこいい家を建てることよりもその中での暮らしが楽しくなるようなことに関わりたいということ
「このお鍋使いやすいよね」とか実際の暮らしで身についたことを提案したり話せるような人になりたい!
そう考えたら居ても立っても居られなくなって、専門学校に通う費用を一人暮らしの契約金にまわしていました(笑)25〜26歳くらいの頃です
実家では食事や掃除、洗濯と母任せで何もしてこなかった私が自分1人で生活することに決めて、18平米の小さな部屋にお鍋や食器、家電など自分のできる範囲で気に入ったものをひとつひとつ揃えながら暮らしを作っていく。その過程、全部自分で決めることにとてもワクワクしたのを覚えています
そこから四半世紀、あの頃思い描いた未来の姿とは大きく変わったけれど、雑誌を眺めながら
あれこれ想像を巡らせていた時間の中で私が「好き」だと感じていたものは、そこで暮らす人の紡ぎ出す雰囲気だったり想いだったのだなぁと感じるのです
そして、その「好き」が発達凸凹で不登校の息子がいても、心地よく暮らすためのあれこれを模索している今に通じるなぁと思うと、あの時のお金の使い方や一人暮らしをはじめたことは
間違っていなかったなぁってうれしくなるんですよ
遠回りなようで、無駄なことってなにもないんですよね
なんとなく今が満たされないなぁって感じていたら、「好き」の裏側や奥底にあるもの
掘り起こしてみてくださいね